<1>おそるべし、アコーディオン。
アコーディオンと出会ったのは、1994年頃だろうか。シンガー加藤いづみさんのバンドにキーボーディストとして参加していた時のことだ。 1曲だけ使いたいという要望があり、プロデューサー高橋研氏所有のHohner(ホーナー)34鍵モデルをあてがわれた。
アコーディオンなんて弾いたことはなかったが、とりあえず鍵盤楽器だし、ピアノやシンセと同じ要領で扱えばそんなに苦労はしないだろうと、軽い気持ちで肩バンドに腕を通した。
ところが……、
驚いた。さっぱり弾けないのだ。
◎ 重い。思いがけない重量感。かつぐだけで、ぐったり。
◎ 蛇腹が動かない。押すのか引くのか、どう動かせばいいのか、どこに力を入れればいいのか?
◎ 鍵盤が真下に向かって縦方向に並んでおり、よく見えない。右手運指の感覚がさっぱりつかめない。
◎ 左手側にずらっと並んだ魚の卵みたいなボタンはいったい何?
◎ 音が想像以上にでかい! やけにうるさい。
……といった感じで、二進も三進もいかない。おもちゃみたいな可愛らしい印象だったこの楽器の、想定外の大変さを、この時に一気に味わうことになった。
恐るべし、アコーディオン。
完全に舐めておりました。
しかし、加藤いづみ嬢の歌の合間を縫って短いフレーズを弾くだけだったので、何とか一夜漬けのような練習でごまかした。
何だかつらい楽器だなぁ、という印象を持ち、その後しばらく触ることもなかった。しかし、また2〜3ヶ月後にライヴがあり、再び思うようにならないこの楽器に四苦八苦。重い…、疲れる…、弾けない…。
そんなことが何回かあって、遅まきながら気付いた。
「借り物の楽器ではだめだ。ちゃんと自分のアコーディオンを手に入れ、時間をかけてしっかり練習しないと、まともな演奏はとうていできやしない」
ようやく購入を決意した。
<2>初めてのお買い物。
意は決したものの、アコーディオンってどこで売っているのか? 実はそんなことも全然知らなかった。
大きな楽器店、例えば新宿のイシバシ楽器とか、いまはなきヤマハ渋谷店とか、銀座の山野楽器、そういった楽器店には置いてなかった。周りに詳しい人もいなかったし、インターネットもまだやってなかった。 なんの情報もなく御茶ノ水の楽器店街をぶらついていたら、老舗のひとつ、谷口楽器で偶然アコーディオンを発見。10台くらいが電子楽器コーナーの奥に陳列されていた。 申し訳無さそうな風情で。
試奏させてもらうことにしたが、どういうタイプの機種がいいのか皆目分からない。店員に簡単な説明を受けるが、いまいちピンとこない。アコーディオンが使われている音楽なんて全く聴いたことがなかったから、当たり前と言えば当たり前だ。
とりあえず、陳列されていた中ではまぁまぁ許容範囲内の値段だったEXCELSIOR(エキセルシァー)315というモデルに目を付けた。
41鍵、120ベース。音色が切り替えられるスイッチもたくさんあるし、きらきら光る鍵盤がHohner34鍵より高級そうに感じた。中古で半額くらいになっていたことも魅力だった。しかしそれが自分に適した楽器かどうかは全く不明だった。
3日後に再び訪れ、よく分からないけど思い切って購入。
とりあえずアコーディオンのオーナーになった。95年の春のこと。
<3>練習場所探しの日々。
想像以上に音が大きかったことと、開放感のある屋外で弾きたいという思いもあり、代々木公園で練習するようになった。
夜10〜11時頃にクルマで行って、公園脇に路上駐車。そこから適当なベンチまで行き、休み休み2時間くらい弾いて帰ってくる、というパターンを毎日というわけではないが何ヶ月か続けた。夏は蚊に悩まされ、防虫スプレーを携帯し参上。冬の寒さにはさすがに耐えられなかった。
96年に杉並から調布に引っ越した。調布から代々木公園は遠すぎるので、あらたに練習場所を探し始めた。周りには深大寺や神代植物園、野川公園、多摩川など、アコーディオンを弾いたら気持ちいいだろうなぁといったスペースが結構あるのだが、音を出せる地点までクルマで乗り入れるのはどこも無理。離れた場所に駐車し、重いこの楽器を運ばなくてはならない。できればそれは避けたい。また、思いのほか民家が近くにあったりする。
ちなみに、最近はリュック型のソフトケースを背負って運搬するようになったが、それはその後知り合った周辺のアコーディオニストたちが軽々とそのような運搬手段をとっていたからで、その当時、アコーディオンというのはクルマで運ぶものだと思っていた。筋肉ゼロ、非力な自分には本当に重かったのだ。
う〜ん、思いきり音を出せるいい場所はないのか〜! とあちこち車を走らせていたら……、ありましたありました、絶好のスペースが。調布飛行場に隣接した市民グラウンドである。
東京オリンピック・マラソン・コース折り返し地点の標識がある甲州街道に沿ったこのあたりは、以前は米軍調布基地が置かれていたところ。小型機が離着陸する滑走路と、野球などのグラウンドが数面ある。実に広大な敷地で全貌はどうなっているのかよくわからない。
そんな中に、野球にもサッカーにもほとんど使われていない芝のフィールドがあった。たまに子供連れのピクニック姿やキャッチボールするペアを見かけるくらいで、利用する人はあまりいない。しかもすぐそこまで車でアプローチできる!
ここだ、ここしかない! さっそく翌日、アコーディオンと椅子(ドラム用のやつ)を積み、缶ジュースを1本買って、クルマで参上した。
<4>閉ざされたゲート。
理想的な練習場所だった。
芝のフィールドには日除け代わりの桜もあり、頬を撫でる風が実に爽やか。小鳥や草木まで歓迎してくれているような気がした。
なんで他に誰も使わないのか不思議だった。代々木公園にはあちこちに楽器を練習する姿があったのに。禁止されているのかとも思ったが、気にせず日参した。ただし、ゲートが夕方に閉まってしまうので、練習時間は昼間になった。1時半頃に行き、練習メニューをこなし、あ〜疲れたと時計を見ると3時半くらい。だいたいそんなペースだった。
春の晴天はホントに気持ちがいい。上空に小型機が飛んだりするのも結構オツである。最高の練習場所だ〜! 誰にも教えないぞ〜! 小鳥さん、こんにちは〜! 僕のアコーディオン聴こえますか〜?
なんてすっかり風景の一部に溶け込んでいたつもりになっていたある日、いつも通りにそこを訪れてみるとゲートが閉ざされていた。そして周囲には工事のフェンスが張り巡らされていたのだ。
入れない! 何故だ?
よく見るとゲートにこんなボードが……。
「競技場建設のお知らせ。2001年完成予定」
現在、そこはあのFC東京のホーム・グラウンド、味の素スタジアム(完成当初は東京スタジアム)になっている。
僕は最高の練習場所を失ってしまった。
がっくり。
<5>アコーディオン・レッスン。
誰かに習おうかとも思った。何しろさっぱり要領が分からない。
しかし、いわゆるアコーディオン教室はどうも気が進まなかった。何だか田舎臭そうなイメージ……(失礼!)。かと言ってセンスよく個人教授してくれそうな人も手掛かりなし。
とりあえず「ACCORDION STYLE AND TECHNIQUES by Joey Miskulin」というビデオを入手したので、それを先生に見立てて自己流で進めることにした。
また、あまりにもアコーディオン・ミュージックを知らなさ過ぎるので、参考CDを片っ端から購入した。アコーディオン・プレイヤーのソロ・アルバムやアコーディオンがフィーチャーされているものはもちろんのこと、内容は分からなくても蛇腹がジャケットに写ってさえいれば、もうそれだけでGET。そして「こんな感じに弾きたい」と思った何曲かをピックアップし、コピーした。
たとえば、
(1)前掲ビデオのオープニング曲
演奏J.Miskulin
(2)「La Valse A Margaux(極上のワインに捧ぐワルツ)」
演奏 R.Galliano CD『パリ・ミュゼット Vol.1』収録
(3)「Modulante(転調の多い曲〜モデュラント)」
演奏 J.Rossi CD『パリ・ミュゼット Vol.3』収録
(4)「Vew de Grinalda(ヴェウ・ジ・グリナルダ)」
演奏 Sivuca CD『enfim solo(ソロ)』(Sivuca)収録
(5)「Antonia(アントニア)」
演奏by G.Goldstein Video『シークレット・ストーリー・ライヴ』(P.Metheny)収録
どれもこれも超弩級の難曲。素人に弾けるわけありません。どう考えても無理です。やっぱりまだアコーディオンを舐めていたんだなぁ、この頃は。
僕の悪い性分で、初歩からコツコツと、ということができないのである。
どうせアコーディオンを弾くならこういう風に!という思いがあるわけで、入門者だからといって文部省唱歌みたいな曲は絶対いやなのだ。「草競馬」とか「森のクマさん」は弾きたくない! 「スケーターズ・ワルツ」や「おお牧場はみどり」も弾きたくない。アコ教室はこういうのをやらされそうなイメージを勝手に持っていたのだった。そんなのは演奏したくない、という、恥ずかしながら陳腐ではありますが自分なりの美学(!)が一応あったわけです。
で、これら難曲をいわば究極の理想形として、無理を承知でトライした。
結局、ちゃんと弾きこなすには至らなかったが、というか、まったく歯が立たなかったが、格闘の過程でプレイのコツが少しずつ分かってきた。
しかし、この課題は初心者にはちょっと難し過ぎました。無謀の一語。愚かの至り。今でも全然弾けません。とほほ。
やっぱり教室行けばよかった、と後悔の今日この頃。
<6>アンビリーバボー!
片っ端からアコーディオン関係の音源をチェックしていくうちに、驚くべき演奏に遭遇した。『Panamanhattan』。ベースのロン・カーターとリシャール・ガリアーノのデュオによるライヴ・アルバムだ。
このとき僕はまだリシャール・ガリアーノというアコーディオン・プレイヤーを知らなかった。そしてアコーディオンの奏法に関しても全く無知だった。
最初に聴いたときは、1台のアコーディオンでプレイしていると思えなかった。しかし何度聴いてもまぎれもないライヴ1発録音。アコーディオンとベースの1対1による演奏だった。
心底どぎもを抜かれた。
え〜っ? こんなことがアコーディオンで出来るの?
まさにショック。大ショック。
具体的に言うと、右手と左手のコンビネーションとバランスが奇跡だった。ジャズ・ピアニストの右手と左手のような奏法。アコーディオンの左手は、ブンチャッチャ・ブンチャッチャというような感じで単純なコードを鳴らすくらいしか出来ないと思っていた僕にとって、全く信じられないサウンドだった。
複雑なハーモニー、疾走するスウィング感、そして変幻自在の表現力……。もう、気絶しそうだった。何でこんなことができるんだろう、一体どうやって弾いているんだろう。R・ガリアーノという人とアコーディオンという楽器に対する深い興味が急速に増殖してきた。前掲の「La Valse A Margaux(極上のワイに捧ぐワルツ)あるいは(マルゴーのワルツ)」という曲もR・ガリアーノだとこの頃遅まきながら知り、「もう彼しかいない」とCDを買い集めた。結構たくさん出していて、その世界では有名な人だと遅ればせながら知った。
驚異的なテクニックと、ジャズをベースにしながらミュゼット、タンゴ、クラシックなどを消化した音楽性、ダイナミックでリリカルな表現力……、す、す、凄すぎる! 素晴らしすぎる! 聴けば聴くほどアンビリーバボー!
聴きまくった結果、いくらなんでもこれは真似できないし、太刀打ちできるはずがない、と痛感。しかしアコーディオンという楽器の想像をはるかに超えた可能性を知ることとなった。きわめればここまで表現できる。この楽器が猛烈に凄い楽器に思えてきて、張り合いが増してきた。
と同時に、途方にもくれました。いったいゴールは何処……。
<7>2台目のアコーディオン。
EXCELSIOR 315を触り始めてしばらくすると、この楽器ではリシャール・ガリアーノと同じ音が出ないということに気付いた。
どうやら音楽の種類によって、使われるアコーディオンも違うらしい。ミュゼット、ジャズ、アイリッシュ、テックス・メックス……、それぞれに適した機種があるみたいだ。R・ガリアーノと同じ音を出したい! テクニックは真似できなくても同じ音色で弾きたい!
楽器演奏にのめり込むと、憧れのプレイヤーと同じ楽器を使いたくなるのは自然な欲求だろう。
しかし、メーカーや機種も分からないし、どこで売っているかも当然分からない、と悩んでいた時、雑誌キーボード・マガジンに小さな広告を発見。「VICTORIA」……。
ヴィクトリア? 運道具店じゃないのか? 聞いたことのないアコーディオン・メーカーだったがとりあえず資料を請求した。
送られてきた封筒には、カタログと一緒に1枚の便箋が入っていた。「息子のcobaがお世話になっております……」 な、なんとあのcobaさんのお父さんがVICTORIA日本総代理店の主だった!
「一度ショー・ルームへお越し下さい……」ということで行ってみたら、そこは何というか、がら〜んとした古い木造平家建ての都営住宅(らしき雰囲気)。アコーディオン・ケースが並んでいるのはタタミの上。6畳ふた間にステンレスの流し。
え? ここがショー・ルーム?
予想外の空間に戸惑いはしたが、coba父・小林さんの人なつっこいキャラクターで「R・ガリアーノもVICTORIAを使っているんです。彼は息子とも親しくしているんですよ」と言われてしまうと、もう完全に買うモード。
彼みたいな音を出したいならこのタイプと奨められたのが「Super 96 Cassotto」。鍵盤は37、96ベースとやや小ぶりだが、「このくらいで充分なんですっ」と力強いお言葉。リードはHMML。決め手はダブル・チャンバー。詳しいことはよく分からないが、エコー・ルームのようなものが内蔵されているらしく、独特の甘い音がする。
「おお〜っ、R・ガリアーノと同じ音だ! こ、これ、欲しい!」
しかし、そう安い買い物ではないので、一旦帰宅。一晩考えて翌日TELで購入申し込み。何と「若年者割引」をしてくれた。
じゃ、じゃくねんしゃ割引??
ううっ、coba父さんは僕のことをいったい何歳だと思っていたんだろう。まぁ、いいか。こうして2台目のアコーディオンVICTORIA Super 96 Cassottoを入手した。97年12月のことだ。
ちなみにVICTORIAは、EXCELSIOR同様、イタリアのアコーディオン・メーカー。cobaさんが留学中に見つけてきたらしい。
ここで簡単にアコーディオンの仕組みについて触れておこう。
MMML、HMML、MMLなどと表示されるが、これはリードのセットを表している。
アコーディオンという楽器は、ハーモニカが何台か内蔵されているようなもの、と考えれば分かりやすいだろう。ハーモニカは口から空気を送りリードを振動させるが、アコーディオンは蛇腹で空気を送って、音を出すのである。
Hは音域の高いハーモニカ。Mは中音域。Lは低音域のハーモニカという意味で、MMMLという機種は中音域が3つ、低音域が1つ、計4つのハーモニカを搭載している、というような意味だ。
アコーディオンはそのリードの組み合わせで音色を切り替えられるのだ。
たとえば、Mひとつで鳴らせば、うねりのない素直な響きがするが、MMに設定すれば、その2つのMは、微妙にチューニングがずれていて、ゆらぎのあるコーラス効果が得られる。MLのセットでは、フルートとファゴットといったような1オクターブ違いのサウンド、HMLとかHLといった組み合わせもある。
このような切り替えをボディに備えられたスイッチで行うのである。
<8>アコーディオンの本。
あれこれ音源を集めるにつれて、アコーディオンという楽器にまつわる様々なことに興味が湧いてきた。いつどこで誕生したのか? どのように各国に広まったのか? 鍵盤式とボタン式はどう違うのか? バンドネオンとかコンサーティーナというのは? CDショップに並んでいる人以外にどんなプレイヤーがいるのか? この楽器が使われる音楽にはどんな種類があるのか?……。
そんな時、一冊の本に出会った。
「アコーディオンの本」(渡辺芳也・著/春秋社)
まさにそのものずばり、のタイトル。貪るように読んだ。すべてが書かれていた
この著者、実は某大手商社のサラリーマンであるらしいが、半端じゃないアコーディオン愛好家で、感嘆するほどの研究家。親の仕事で子供の頃から海外暮らし、今も様々な国にネットワークを持つ国際派で、各国の演奏家とも親しく、文献や資料なども数多く蒐集、この楽器のすべてを広く深く俯瞰している自他ともに認める「アコーディオン狂」。文字通り、アコーディオンのすべてが全方向から楽しく語られている本なのだ。
何より、著者がアコーディオンを好きで好きでたまらない、といった様子がどのページを繰っても伝わってくるのが嬉しい。
たくさんのプレイヤーをこの本で知った。映画「ロッキー3」に出てくるアコーディオン弾きのことが書かれていたので、あらためて観たりもした。(この映画そのものは……、う〜ん、いまいち)
「真珠貝の夜・チュール」というビデオが紹介されていて、そこでR・ガリアーノの演奏する姿を初めて目にした。その他多くのアコーディオン弾きの映像を観ることが出来た。
日本で最古のアコーディオンが奉納されている美保神社のお話も興味深い。で、島根県松江市からバスに揺られて1時間くらいのこの神社に、遠路はるばる行ってみたりもした。(運悪く「宝物館は改装中」とのことで拝観できなかったのだが)
関心の幅がぐんと広がった。この楽器、ひとたび好きになるとマニア街道まっしぐらって感じの人が多い気がする・・。僕はまだまだ、だなぁ。
「アコーディオンの本」
残念ながら現在絶版とのことです。これ以上はあり得ないという名著なのに。
<9>奇妙な親近感。
代々木公園でのエピソードをひとつ。
そろそろ冬になろうかというある夜、寒さに耐えつついつものようにベンチに腰かけ蛇腹を動かしていたら、視界の隅に人影を感じた。
立ち止まって聴いているような気配。
たまに犬の散歩の途中で立ち聴きする人もいるし、懐かしい音に声をかけてくる親子もいる。でも、そういう気配ではない。音をストップして人影に目をやると、そこには明らかに公園で生活をしていると思われる男性がいた。
いわゆるホームレスですね。40才くらいか、もうちょい上か。お酒が入っているらしく、赤ら顔。目が合うと、にたっと笑い、話しかけてきた。
「今の曲、きのうも弾いてたねぇ」
やや呂律がまわっていない。でも人はよさそう。「アコーディオンはいいよ。それに比べてラッパや太鼓はうるさくてたまらない。寝られないんだよ」
適当に相槌を打っていたら、もうひとり参加してきた。今度の人は60才くらいか。気分よさそうに鼻歌をうなっている。
僕のアコーディオンがこの人たちの癒しになっているのかな、なんて鼻歌に合わせて弾いたら、
「あんた、いつもこのくらいの時間に来るね。あんたのこと、おれらの間で何て呼んでるか知ってるか?」
「?」
「良造さんって呼んでるんだよ。良造さん」
ベンチからずり落ちそうになった。りょ〜ぞ〜さん〜?
そうです。アコーディオンといえば何といっても横森良造さんなのです。
一昔前、テレビの歌番組で、のど自慢で、あるいは今でいうバラエティみたいな番組で、アコーディオンを真ん丸のニコニコ顔で弾くお茶の間の人気者、それが横森良造さん。アコーディオンといえば横森さん、横森さんといえばアコーディオン、そのくらい定着したイメージがあったのだ。
「今日も良造さん、来てるよ、なんて言いながらあっちで酒飲んでるんだよ」
う〜ん、嬉しいようなそうでもないような、複雑な思い。でも、光栄です。そういうことを言ってくる公園の主たちに親近感を覚えた。
冬になり、しばらく屋外練習を休んだ。
年が明け、ようやく春らしい日々が訪れると、再び代々木公園に行ってみた。あのときのふたりは見当たらなかった。寒い季節をどこで過ごしていたんだろう。大丈夫だったのかなぁ。97年春の代々木公園はちょっと風景が違って見えた。
<10>仲間求む。
一人で練習していると、やはり寂しいもので、誰かと一緒に音を出したくなる。寂しいだけじゃなく、何だか煮詰まっちゃうんですよね。根性ないし……。 バンドをやるというほど強いつながりでもなく、ただ練習するだけという消極的な関係でもない、適当に音のキャッチボールができるパートナーがいればなぁ、なんて感じの思い。新しい楽器にトライしている途上でもあり、まわりに音楽をやっている人はたくさんいたが、何となく知り合いのミュージシャンではない新たな出会いを探してみたかった。97年末頃の話。
楽器店の掲示板や雑誌の「仲間求む」欄をチェックしてみたが、アコーディオンと一緒にやりたいと明記してあるものは皆無だった。また、あんまりレベルや感性が違う人とやってもなぁ〜、なんて思いも正直あり、相棒を求めつつもそんなに必死になって探すというわけではなかった気がする。
そんな時、演奏者向け雑誌の老舗「ジャズ・ライフ」のメンバー募集欄に気になる人を発見。
『当方アコースティック・ギター。ジャズも好きですがエスニック音楽にも興味あり。バイオリンやサックスなどとやりたし』……。
その内容にももちろん目が行ったが、驚いたのがその人の住所。うちから歩いて2〜3分の超ご近所さんだったのだ。
恐る恐る連絡をとってみた。
何しろホントに近かったので、すぐ会うことになり、さっそく音を出そうという流れになった。
その彼が、調布市の施設に音楽練習室がある、と教えてくれた。僕よりもかなり若かったが調布市に関しては僕よりベテランで、あまり興味はなかったが安い定食屋なんてのも教えてくれた。
やりたい曲を持ち寄り、何度か一緒に音を出した。
ガット・ギターとアコーディオン……、いい組み合わせだったが、お互い力量不足というか、どうもお互い暗い性格(!)だったのか、今いちウキウキわくわくする感じにはならなかった。
結局、何となく自然消滅……。
しかし、誰かと接すると、一人では知り得ない何かを受け取ることができると実感。ふだん聴かないようなアーティストも彼に教えてもらったし、素敵な曲もいろいろ知った。
そして何より練習室。今、愛用しているんですよ、ここ。プラネタリウムでせっせとリハーサルに使っています。いい場所を教えてもらっちゃった。
その後、ご近所なのに全然会わない……。彼の家の前はたまに通るけど。元気かな。
<11>三種の神器。
「暇なんですけど」というE氏からの電話を受けて、プラネタリウムは始動した。98年初頭のこと。
ふたりで音を出して痛感したのが「ああ、僕って、へた」ということだった。
自分の演奏の欠点は、誰かと一緒にやるとよく分かる。そして「ふたり」という編成がいちばん如実に弱点が表れるように思う。
僕の場合、蛇腹の動かし方がどうにもぎこちなく、それでタイミングが狂い、リズムが乱れる。また左手のボタンと蛇腹を同時にコントロールしようと意識すると、右手もシャバダバズビダバハラホロヒレハレっとハチャメチャになる。つまり、へたなのだ。でも、やりたいことはテクニックに見合わない高度なことだったりするわけです。
で、こりゃいかん、と基礎的な練習にもようやく目が向いた。
……僕はいつも気付くのが遅い……。
メトロノーム、椅子、鏡、これがアコーディオン練習の三種の神器だ、と以前cobaさんが何かのインタビューで言っていた。三種の神器とは半分冗談だろうが、正しく演奏するにはとても大事な練習道具なんだろう。
そうか、鏡か……。
メトロノームと椅子は当然持っていたが、練習に使えそうな「鏡」は家になかった。あったのは洗面所と洋服箪笥に備え付けのものと、あとは小さい手鏡だけ。
鏡を使う目的は、もちろん弾く姿を自分で確認するためだが、主として左手ボタン演奏のサポート。
初心者にとって最大の難関は左手。アコーディオンの左手ボタン部分って、配列にも最初は戸惑うし、おまけに演奏者本人からは全然見えない。蛇腹も動かさなくちゃいけないし……。指先の触感で目当てのボタンを探し、ブンっと押す、そうすると全く違う音が鳴っちゃったりする。がっくりです。そのため、死角になっている部分を鏡に映し、慣れるまでは目で確認しながら練習しようというわけ
そうだ! 鏡だ。
最初、ホームセンターかどこかで、よくある安っぽい木枠のスリムな姿見を買ったのだが、鏡の幅が狭すぎて半身の半身くらいしか映せなかった。まぁ、左手だけ映ればボタンの見当付けはできるが、自身が脳天から刀で斬られたように細くしか映っていないのは非常に気分が悪い。この鏡、幸か不幸か就寝中に蹴って割ってしまった。う〜、危ないなぁ、もう。
ということで写真のスタンド・ミラー。リサイクル・ショップで見つけた。白い枠が何だか少女マンガ的と言うか、デコレーションが「ベルサイユのバラ」(?)みたいで、ちょっと悪趣味かとも思ったが、いやいやこのくらいバタ臭い方が愉快な気持ちで練習できると思い、少しニヤけて購入。
愛用しています。今は練習用というより、主に衣裳チェック用(これも大事!)ですけど。
<12>ミッドサマー・バーベキュー。
2泊3日の夏の海・・・、大学を卒業してから何となく始まり、いつの間にか恒例になった仲間との小旅行。もう何年続いているんだろう。参加人数はその年によりまちまちだが、甲子園の高校野球のように夏になると必ずそのイベントはやって来た。
メインのメニューは海辺でのバーベキュー。
泳ぐことにあまり興味のない僕は、ビールやワインやジンを飲んでは、鉄板や網の上でいい香りを放つ野菜や肉や魚や貝や、いろんなものをつまんで、また飲んで寝転がり、じりじり日に焼ける時間を楽しんだ。泳ぐ人は泳ぎ、食べる人は食べる、子供と遊ぶ人もいて、みんなそれぞれに楽しむ。
アコーディオンをやるようになってからは、楽器持参で参加。そういうことができるところがピアノなど大きな鍵盤楽器との最大の違いで、いちばんの魅力だろう。
何しろみんな適当に酔っぱらっているから、潮騒まじりの蛇腹サウンドに、
「お〜、いいねぇ」「わ〜、素敵よねぇ」
と案外、好評。こんな反応が嬉しくて、翌年も持って行き、
「おっ、去年よりうまくなったなぁ」「わっ、去年より素敵っ!」
とまたまたやさしい反応。「○○弾いてよ」とリクエストも出たりして。
嬉しいもんです。のせてくれる友人の存在。
気をよくした僕は、年に1度の発表会に臨むみたいな心意気で、夏が近付くと、今度は何を弾けるようになってやろうかなと、海辺の聴衆をちょっと意識して練習したりもした。
こんな風景がプラネタリウムの「ミッドサマー・バーベキュー」。 でも、実はもはやここ何年も参加していない。
真夏の炎天下が歳がかさむとともにだんだん苦痛になってきちゃって……。海パンもますます似合わなくなってきた気がするし……。海辺でアコーディオンは弾きたいんだけど……。
しかし、僕が人前で弾く原点はここにある。今でも頭の中でバーベキューをやりながら、ライヴ会場で蛇腹を動かすのである。
<13>そして
現在我が家に棲息するアコーディオンは、
- ●Victoria New Virtuoso DX
●Victoria Virtuoso Casotto
●Excelsior 315
●Pigini Prelude
●Hohner 34keys ←(高橋研氏から借りっぱなし)
並べてみると、我が子のように可愛い。
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